5歳就学前に気づけた子どもの発達遅れによる最初の決断
5歳の我が子が書いた一枚の絵がキッカケでした。
今日は、長男の療育手帳取得の頃の思い出話をしようと思います。
長男の遅れ?違和感を確信として感じたのは5歳の年中さんの頃でした。
動物園に行った親子遠足の絵を描いたのを先生が見せてくれたのですが、、、。
『ん?これはなんの絵だ?』
描いてあったのは画用紙一面の小さい丸。
背景は真っ黒。
全く想像もつかずに本人に何の絵か尋ねた所、返ってきた答えは『クラゲ』
さっき書いた通り、行ったのは動物園。
先生にお願いして、他の子の絵を観せてもらいました。
そこに書いてあったのは勿論、動物園に居るゾウやキリン。
ちゃんと鼻が長いや、首が長いなどと特徴を捉えて色もしっかり選んで塗ってありました。
感情がどうこうと言うより、ただただ違和感を感じた事を覚えています。
その違和感をはっきりさせたくてクラゲの絵を持って、かかりつけの小児科に相談しました。
そこで言われたのが、「学習障害かもしれない。記号は読める?」と言った質問をされたので、⚪︎×や△◻︎と言った形は分かっていますと伝えると「もしかすると、文字は読めるけど書けない。小学生になった時に黒板を写せなくて困るかもしれない。療育センターに一回行ってみたら?」と話してもらい、療育センターの小児科受診後に心理と作業療法に通う事になりました。
そこで言われたのが
・発達性運動協調障害
発達性運動協調障害は初めて聞く言葉だったので、先生に尋ねたところ極度の不器用さんとイメージしてもらえたらと説明を受けました。
うん。納得。
私自身、中学生の時の100メートル21秒で体育や運動は苦手で嫌いでした。
逆上がりも出来ない。跳び箱も4段飛べない。マット運動も後ろ回りでつまづいてました。
発達性運動協調障害と言われるまでは、単純に運動音痴な私に似たのだろうと思っていましたが、どうやらそれだけでは無かったみたいです。
お箸を教えても上手くいかずに、親戚に「2歳とかからちゃんと教えた?私はそのくらい幼少期から教えてたよ」と言われ、何とも言えない気持ちになったり。
5歳の頃から何度か通いながら療育の先生達も含めて、就学の事を話し合いました。
内容は大きく2つ。
1、支援学校に行くのか、支援級に行くのか
2、療育手帳を持つのかどうか
就学先に関して、先生達はどっちが合ってると思いますか?尋ね、返ってきた言葉は「どちらかといえば、支援学校かなと思いますが非常にグレーな感じで。支援級でも過ごせる可能性はあると思うので、とりあえず両方とも見学に行ったらどうですか」
と、提案してもらったので最初に特別支援学校に見学に行きました。
その時の長男に言葉、忘れもしません。
表現として不快に思う方がいたら申し訳ないのですが、そのままお伝えします。
『ここじゃ、お友達出来ない』と、私に伝えてくれました。
その一言で、大変な想いもするかもしれないが市立小学校の支援級に進学させようと決めました。
結果、大変な時もあるようですが支援級で楽しくマイペースに、本人なりに楽しんでいるようなので良かったと思います。
何より、保育所から一緒に過ごしていたお友達とクラスは違えど同じ小学校に行けた事で、幼馴染ママ友に私も支えて貰いました。
そして療育手帳を取得するかどうかは本当に悩みました。
私が手帳を持たすと決断する事で、この子の意志と関係なく障害者という診断を背負って生きて行く事になるんじゃ無いかと。
将来の選択を自分でする時に不利な事やチャレンジする事に対する不安が大きくなるのではないかと悩みました。
写真は取得後に水族館に行った時の写真です。とっても良いポーズ!
取得を決断した一番の理由としては、私の気持ち的にハッキリさせたかった。
私自身が、我が子の自閉スペクトラム症であ事を理解して行動する為に必要だと考えたのです。
『この子は手帳があります。自閉スペクトラム症です。苦手な事もありますが、この子の未来を一緒に考えて欲しいのです。』
こんな風に、家族や親戚に理解し受け入れてもらう。周りに協力を求める時に、療育手帳がある事が一番分かりやすいと考えました。
将来、長男がこの手帳をどう利用していくか分かりませんが、本人が困った時、周りの助けが必要な時に、上手に利用して行けたら良いのでは無いかと考えています。
現在、自分は療育手帳があるという事は表面的には理解している様です。
内容としてはおそらく、お出かけの時に色々安くなる特別な手帳と認識しているようで、自ら堂々と提示しています。
少なくとも、手帳を取得して5年ほどですが、前向きに捉えてくれている様で安心してます。
私の今日までの体験や悩みが、何かお役に立てたら幸いです。